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《第1回》

(中学3年生の夏休みも明けた、9月13日の朝)
「んん……んぅっ、ん……」
(何だか変な夢を見てた気がして、ふわふわとした目覚めだった。
だから、気付くのに少し時間が掛かったんだ)
「……えっ」
(パジャマのズボンの中の違和感。じっとりと湿っぽい感覚。
まさかと思って確認すると、それは予想外の“まさか”だった)
「えっ、えぇぇっ!!?」
(その日、僕は大人の階段を一歩上がってしまっていたのだった)
「(どうしよう、これ……)」
(パンツの中の白いもの。僕はこれが何なのかを知ってる。
でもまさか、今日“その日”が来るとは思ってなくて、だから慌ててしまっている)
「(とりあえず、軽く洗って洗濯機に――)」
(と、これからの事を考えていると、)
ピピピピ、ピピピピ!!
「うわっ!」
(ベッド脇に置いた目覚まし時計が6時30分を指して鳴り出した。
突然のことでびっくりして、その音を止められずにいると、)
『リュー、目覚まし鳴ってるわよ〜〜?』
(と、扉の外――下の階からお母さんの声がした。まずい。
このまま上がって部屋にでも入られたら……それは、いくらなんでも、恥ずかしすぎる!)
「わ、わかってるよ!すぐ行くから!」
(と、適当に返事をしたのち、慌ててぐしょぐしょの下着を脱いで、
とりあえず替えのをタンスから漁って穿く。そしてその隣の壁に掛けられた、
日めくりカレンダーをベリっと剥がし、9月13日が始まる。
そのまま制服に着替え終えた僕は、脱いだ下着をこっそり持って、
お母さんの待つダイニング、ではなく、真っ先に洗面台へと向かうのだった)

(学校に行ってからも気が気じゃなかった。
バレてたらどうしよう、怪しまれているかもしれない、と。
後から思えば、随分小さな事で悩んでたと思えるけど、
その時の自分にとっては大事だった。
そんな大事だったから、授業中もずっとそわそわしていたんだろう。
それを見兼ねて、いよいよ昼休みに、僕に話し掛けてくるクラスメートが居た。
そしてあろうことか、僕はそのクラスメートに、
朝起きたことを全部話してしまった。
そいつが僕の、一番の相談相手だったからだ)
『――――はぁ!?今日初めて出したってー!?』
(……この声のデカささえなければ。)
「ちょっ、ばかっ、声大きいよ、レザリオ!」
(昼休み、疎らではあるものの生徒は数人居る教室内に彼の声が響き渡り、
僕は真っ赤になって押さえつける。何人かこちらを見たような気がした。
しかし特に興味もないのか、それぞれしていたことに視線を戻していく。
それを確認すると、)
「その……この事は……内緒にしてほしいんだけど」
(と、ひそひそ話に近い小さい声で、
レザリオ、と呼んだ目の前のイタチ獣人の男子生徒に告げた)
『あー、わりぃわりぃ。めっちゃびっくりしたもんで』
(と、おちゃらけた様子で謝るレザリオ)
「……そんな驚く?」
『いやぁ、あのリュークスがむせ――――』
「言わないで」
『ハイ言いません』
(……とまぁ、こんなやり取りは昔からで、)
『それにしたって、リュークスはずっと子どものままかと思ったのに』
「何それ……僕だって15だし、成長だってするよ」
『でも小6んときから身長そんな変わってな――』
「言うな」
『ハイ』
(……レザリオと僕は幼稚園からの付き合いで、
幼馴染というか、腐れ縁に近い関係だった。
お互いの家は歩いて5分程度の場所にあり、
親同士も仲は良いのでいつでも気軽に遊びに行けた。)
(小学校でも度々同じクラスになり、中学校に至っては3年間ずっと一緒。
だからこうして給食の時間の後の昼休みは、
二人で教室で駄弁っていることが多い。
同じクラスの男子は、大概昼休みになった途端、
サッカーボールを持ってグラウンドに行っちゃうけど、
生憎僕はサッカーは大の苦手で、なかなか行く気になれない。
でも体を動かすこと自体は嫌いじゃないから、時々散歩しに行くこともある。
発案者はいつもレザリオなんだけど。)
『……まぁ』
(話が逸れかけたのを、レザリオがぐっと引き戻しにかかる)
『どう足掻いても、親にはいてかバレるぞ?それ』
(嫌な引き戻し方だった。僕だって、そんなことはわかってる。
でも、さすがに直接バレるのは恥ずかしすぎるから……)
『隠したくなる気持ちもわかるけどな。オレも隠したし』
(……心を見透かされた気がした。
僕は、はぁ、と大きく溜息に近いものを吐いて、
自分の席の机にぐでっとなると、)
「また出しちゃったらどうしよ……」
(と、呟いた。)
『は……?』
(レザリオは僕の呟きを理解できない、といった様子だった。)
「へ……?」
(僕も、レザリオのそれが理解できない。)
『お前……“しない”の?』
「……何を」
(本当に理解できなくて、一言そう尋ね返すと、向こうは一層驚いた様子で、)
『待って、待てよ、お前……マジでしねぇの?ほら……これ』
(言葉に出しにくいのか、
代わりに手を上下に振るジェスチャーをしてみせるレザリオ。)
「……?」
(もちろん何もわからない。)
『え、その……シコったり、しねぇの?』
「……何それ」
(突然相手の口から出た見知らぬ動詞に、
思わずジト目になってしまった。
今、頭の中には四股を踏むお相撲さんの画しか浮かばない。
その返事が益々意外だったようで、)
『うわーマジかよ……え、知らない?いやぁ、でもこいつなら有り得るかぁ……』
(と、よく分からないリアクションを取られている。)
「え……なになになに」
(そんな反応では逆に気になってしまう。)
『え、あ、いや……その……お前さ、夢精が――』
「…………」
『ん、ん゛んっ、その、朝にアレを出すのが嫌なら、
それを止める方法があるってやつで――』
(わざとらしい咳払い。そのデカさにつっこみたい気もした。
けど、それより気になったのは、)
「え、そんなのあるの!?」
『――っ、声でけぇよ……!ビークワイエット!』
「あ、ごめん……。それで、その方法って?)
『ググれ』
(解決策を期待していた僕のドキドキはその一言で崩れ落ちた。)
「えぇ、なんで!?」
『なんでじゃねぇよ!お前それ演技だったら殴るからな!?』
(……何で若干怒ってるんだろう。……そんなに危ないことを聞いてるのかな?)
『――あっ、昼休み終わっちまう』
(さらに追及しようかどうか悩んでいる最中、
時間の経過を無情に知らせる予鈴が教室の空気を入れ替える。
グラウンドで遊んでいた生徒も続々帰ってきて、いよいよ話し辛くなったところで、
一旦この話は終わりになった。)

(放課後、僕とレザリオは大抵いつも一緒に帰る。
家の方向がほとんど同じだし、
クラスも一緒なら下校するタイミングも必然的に同じになる。
しかも、もう3年生の秋で部活は引退しているので、
特別に用がない限り学校に残ることもない。ということで、
何となくの流れでいつも一緒に帰っている、というわけだ。
そしてこれが、今日の僕には好都合だった。)
「――あのさ、レザリオ」
『ん、なーに?』
(大通りの長い信号待ちをしている時に、改まって声をかける。目的は一つ。)
「……例の方法のことなんだけど……」
『……っ!?』
「あれってどんな――」
『だーからググれってば!せっかくスマホ持ってんだから!』
(さっきと同じことを言われた。頑なに教えようとしてくれないから、
仕方なく鞄の外側のポケットのチャックを開けて、自分の携帯を取り出す。
学校への持ち込みは、電源を切っていればOK、とのことなので、
まず電源を入れるところから始めないといけない。
ちょっとめんどくさい。)
「えーと……」
(スマホが立ち上がるや否や、
インターネットのブラウザを起動させて――数秒何て検索しようか迷ったのち、
“夢精_止める_方法”でやってみることにした。……結構恥ずかしい。)
『あー、リュークス、そろそろ信号変わるぞ』
「……ねぇレザリオ」
(青に変わった信号を他所に、僕はレザリオを道の隅に引っ張った。)
『何だよ、また赤になっちまう…………』
(レザリオは突如硬直した。
僕の見せた画面のせいだという事は、傍から見ても分かることだった。)
『お前さぁ……』
(大通りから住宅地の脇道へ逸れ、もうすぐそれぞれの家の近く、
という所でレザリオが口を開く。)
『あぁいうのは他人に見せるもんじゃねぇぞ……』
(あぁいうの、というのは、僕がさっき見せた画像のことだろう。
その画像は、“自慰の姿勢いろいろ”とタイトルづけられたもので、
全裸の雄獣人が股間のアレを、いろいろなポーズで握っているイラストが描かれたものだった。
レザリオには、確認のため見せようと思った……んだけど、
どうやらそれはまずかったみたいだった。)
「え、やっぱりそういうものなんだ……」
(全裸のイラストな時点で薄々察してはいたが、レザリオの反応で確信した。)
『やっぱりって……』
(レザリオは、どこか気まずそうにそっぽを向いて、)
『とりあえず、そういうのやって、出すもん出しときゃ、大丈夫だろ』
「なんか雑だなぁ……」
『そういうもんなんだよ。……多分』
(誤魔化したように言うレザリオ。僕はとりあえず頷いておく。)
「じゃあ、早速今日やってみるよ!」
(と所信表明。レザリオは堪らず、)
『ぷふっ……ま、まぁ、頑張れよ……』
(と、何故か笑いをこらえながら返してきた。だからちょっとムッとした。)
(しばらく歩いていると、赤い自動販売機が見えてきた。
このまま真っ直ぐ行けば僕の家。曲がり角を右に曲って行けばレザリオの家がある。
この自動販売機が、僕とレザリオが別れる場所であり、
よく待ち合わせに使う場所でもあった。)
『んじゃなー。また明日。やった感想聞かせてくれよー?』
「え、言うの?」
『相談料』
「高い」
『知ってら』
(と、いつものような、いつもとちょっと違う内容の言い合いをして、
手を振ってレザリオと別れる。
それで僕は……ここで深呼吸を一回して、家に帰ることにした。
“アレ”をする、と考えると、ちょっと緊張しちゃったからだ。)

「――ただいま」
(玄関の扉を開けると、僕はきょろきょろと辺りを見回した。
少し挙動不審かもしれない。)
『おかえり』
(数秒と待たずに返ってくる、お母さんの声。キッチンの方からだ。)
『あ、リュー、ちょっと手伝ってくれない?』
(僕のことを、リュー、って略して呼ぶのはお母さんだけだから、間違いない。
僕は、どこかぎこちない口調で、)
「え、ま、待ってて!ちょっとやることあるから!」
(と言って、2階の自分の部屋に向かう。
部屋に入ると、とりあえず鞄を隅に置いて、ベッドの上に座り、
さっき見ていた“自慰”のやり方をスマホで詳しく調べてみることにした。)

「(うわぁ……)」
(調べていくと、どう刺激したらいいのか、とか、
後処理についてだとか、意外にもきっちり書かれていることに驚いた。
そんな生々しい記事を読みつつ、早速実践してみよう、
と、扉とカーテンが閉まっていることを確認してから、制服を脱ぎ始める。
何となく、さっきの画像に従った方が良いのかな、
と思って、上も下も全部脱いで裸になった。
自分の部屋とはいえ、やっぱり全裸はかなり恥ずかしい。
正直、脱いでいる最中も若干の抵抗やためらいはあった。
けど、やらないとまた夢精してしまうことを考えたら、
羞恥心を堪える方がマシ、という結論に自分の中で至ったんだ。)
「(後は……ここを……)」
(僕の焦点は、自分の股間に移る。そこに手を伸ばした、次の瞬間。)
とん……
(と、聞き覚えのある音がした。それが何なのかは、咄嗟に思い出した。)
とん……
(階段の音。しかも誰か上ってくる。誰が?そんなの、お母さんしかいない!)
『リュー?ちょっといいー?』
(確定した。まずい。今この格好を見られるのは、まずい。
せめて靴下と下着だけでも穿いていれば良かったかもしれない。
でももうそれらを穿いている時間はない。
……しっぽ穴に自分のしっぽを通すのが大変だから。
かと言って通さないと、脱ぎかけのような変な状態になる。万事休す、と思ったが……)
『あ、そうだお菓子置いてきちゃった……』
(と小さい声が聞こえて、また階段の音、今度は徐々に遠ざかっていく。
はぁ、と安堵したのも束の間、これ幸いと僕は、下着と靴下を穿き直して、
ついでに私服に着替えようとTシャツをタンスから取り出し、着た……
そのときに、お母さんが戻ってきた。)
『リュー?入ってもいいかしら?』
「あっ、あと10秒!今ズボン穿くから!」
(と、私服のズボンを穿き、制服の方のズボンはハンガーに掛けて、実質20秒。
ようやく部屋のドアを開ける。そこには、お菓子の大袋一つ抱えてお母さんが立っていた。)
『着替えてる途中ごめんなさいね。ほら、明日あの子の家行くでしょう?
せっかくだから、差し入れのお菓子でも持たせようと思ってね――これでいい?』
(お母さんがはい、と差し出してきたそれは、
アーモンド入りのチョコレート……の詰め合わせパックで、僕は心の中で、大きく息を吐いた。)
「お母さんそれ……今?」
『あら、もしあの子がこれ嫌だったら、そのままリューの勉強食に置いておこうかなって』
「……多分、大丈夫」
『そう?ならいいけど……あ、やることって、もう終わったかしら?』
(何とも言えない質問をしてくるんだ。もう。お母さんに悪気がないのはわかってる。
……多分、悪気はない、はず。だから、とやかく言うこともできなくて、)
「うん……もう大丈夫」
(……結局、この日、例の“自慰”を試すことはなかった。)

「……んぅっ」
(――自分に掛けたお湯の熱さに、一瞬怯んだ。けど、慣れてくると、一気に流していく。
僕はお風呂の時間は結構好き。何となく、落ち着くから。
それだけじゃなくて、今日のことを思い返したり、考え事をしたりもできる。
湯船に浸かると、ほとんど並々入っていたはずのお湯は、少しだけ水位が上がっただけで、
一滴たりとも外にこぼれ落ちることはなかった。)
(僕は肩までお湯に沈めて、お風呂の水平線をぼうっと眺めながら、
今日の回想をする。それは、今日この後に書く日記のためでもあった。)
「(――今日は……なんか、疲れたなぁ)」
(今朝からずっと頭に付きまとっていた、夢精のこと。
あの後また少しだけ調べていると、一層僕の目を惹く記事を見つけた。)
“――夢精は、人によっては周期的に訪れる。そしてその周期自体も人によって様々である――”
(そんな感じの内容だった。有り得ないとは思うけれど、
もし自分が一日ごとの周期で、明日の朝も出してたらどうしようか。
何せ初めてのことだから、それが不安でたまらなかった。
あと、明日レザリオに何て言ったらいいか、というのも、悩みどころだった。)

(お風呂から出ると、湯冷めしないうちにパジャマに着替えて、向かう先は机。
勉強じゃなくて、日記を書くために。小学5年生の頃から始めて、
一日一言でもいいというポリシーの下、毎日欠かさず書いている、自分の習慣。
思い出保存のために書いているわけじゃないから、昔のを読み返すことは滅多にないけれど。)
「えーと、今日は……はぁ……」
(今日のことは、少し筆を動かし辛い。別に誰が見る訳でもないのに、
今日起こったことをそのまま書くのは恥ずかしすぎて、できるだけ、遠回しに書いておいた。)
(気付くと、日記帳として使っているこのノートも、最後のページに近づいている。
一日に書く量はそう多くないし、すぐ終わってしまうことはなさそうだけど、
また新しいのを買っておかないと、と思った。)
「ん……ふぁぁ……」
(書き終わると同時に眠気が襲ってくるのもいつものこと。
机のライトを消して、ベッドに潜り込む。
そして目覚まし時計を今日と同じ6時半にセットするのも忘れない。
深く沈んでゆく意識の中、ただ一つ祈ることは、二日連続の夢精の回避。それだけだった――。)


《第2回》

ピピピピ!!ピピピピ!!
「……ん」
(翌朝、僕はいつも通り、時計のアラーム音で目を覚ました。
それを若干眠たげな顔のまま止めた……でも、まだ微睡んだ意識を一瞬のうちに呼び戻したのは、)
「……あ、今日は出てない」
(昨日あった事がフラッシュバックして、まず下着の中を確認し、どこも濡れていないことに安心した。
今日は昨日より遥かに落ち着いて、日めくりカレンダーを剥がすことができる。
今日は9月14日。金曜日だ。)

『――――はぁ!?昨日やれなかっただぁ!?』
「ちょっ、だから、声!」
(昼休み、僕はレザリオに約束通り昨日のことを報告した。
レザリオにとっては全く以て期待外れだったみたいで、今日もでかい声を響かせていた。)
『大丈夫だろ。教室じゃねぇんだから』
(楽観的にレザリオが言う。そう、今日は教室で話しているわけではなかった。
僕らがいるのは、下駄箱のある玄関、そこの外側の軒下。
いつもならグラウンドへ行き来する生徒で賑やかなこの場所も、
今日は随分静かだった。どうしてかというと、)
『――それに、この雨なら誰もこんなトコ来ねぇよ』
(ふと外を見ると、傘がないとずぶ濡れになりそうなくらいの雨、避けるのも難しい地面の水溜まり。
ここでこんな状態じゃ、グラウンドも当然使い物にならない。
だから、普通外に行く生徒が教室に留まって、そのせいで場所を移動することになった。)
『――で、何でやれなかったんだよ?』
「え、っと……お母さんに見つかりそうになっちゃって」
『あれ?お前ん家の母親って、働いてなかったっけ?』
「昨日は休み」
(そう、本当は僕の家は両親が共働きで、帰っても誰もいないことはそう少なくない。だから、)
『じゃあさ、親居ない日にやればいいんじゃね?』
(……こうなるんだろうなぁ。)
『次親居ない日っていつ?』
「えーっと……次の月曜日、かな……」
『祝日じゃねぇか!んじゃあ、余裕でいけんじゃないの?オレら休みだし』
(と、レザリオは簡単に言ってくれる。)
「そうかな……?」
(腕を組んで僕は言う。)
『……リュークスって割と頑固ってーか、堅いトコあるよな』
「えぇー」
(レザリオに直球で自分の性格にダメ出しを食らわされた気がして、ちょっと心が痛い。)
『もうちょい柔軟になってもいいんじゃねえの?』
「……まぁ、頑張ってみるよ」
(何をとは言わず、僕はレザリオにそう返した。本当はわざわざ頑張るものでもないんだろうけど。)
(自慰の問題に続いて、自分を悩ませているものがもう一つある。
その根源は、帰り間際に担任の先生から配られた。)
「(第2回進路希望調査……かぁ)」
(そう書かれた紙を見て、心の中で溜息をついた。)
『三連休明けに集めますから、この休みの間に書いておいてください、ね』
(という先生の言葉を皮切りに、放課後が始まった。)
「せんせ、あ……」
(質問したいことがあったから訊きにいこうと思ったら、先生はもう教室を出てしまっていた。)

『リュークス、帰るぞー』
(と、隣からレザリオが言う。僕は帰り支度を終えて荷物を背負うと、)
「ごめん、5分だけ待って!」
(と、職員室に向かった。)
「――失礼します、2組のリュークス・シビリクスです」
(職員室に入って、近くの先生に聞こえるようにそう挨拶する。)
『あぁ、ロドノク先生に用だね?』
(と、入口傍にいた先生はこちらの意向を汲んでくれたみたいで、僕はうんと頷いた。
それから、僕の目的の人を呼びに行ってくれた。)
『――やぁ、すまなかったね。ちょっと立て込んでたもんで、ね』
(と言いながら、奥から出てきたコンドルの鳥人。僕の担任のロドノク先生だ。)
『えっと、さっきの希望調査票の質問かい?』
「あ、はい……えっと、前の進路希望調査では親のサインの欄があったのに、
今回は無かったので気になって……」
(と、手にしていた調査票の紙を見せる。)
『ん――あ、ミスだねこれ。本当は親のサインもあるといいかな』
(と、その紙を見ては僕に笑う。)
『また君は、そういう所よく気づくよね』
「え……別にそんな事ないですよ」
(疑問も解けたことだし、レザリオたちも待たせているので、
早く帰りたい、というのが本音だった。だから、ちょうど区切りのいいポイントを探していると、)
『進路の方は大丈夫?』
(と訊かれた。)
「…………はい」
(少しの沈黙のあと、短く返す。)
『……ん、ならいい。また何かあったら遠慮なく相談しに来てくれ、な。』
(その言葉に僕はお礼を言って、そこで話が区切れたので僕は職員室を後にして、
みんなが待つ校門へ向かった。)

『っでー、あの空から落ちるとこの作画がヤバいんだって』
『俺そのアニメ、2話で止まってんだけど』
『えー、もう10話まで出てるよ?見ときなって』
(帰り道、その日はレザリオだけでなく、同じクラスの2人も加えて計4人。
雨の中傘を差しては話題のアニメの話に華を咲かせていた。)
『リュークスは3話以降見てんの?』
(ふと、自分の右側、レザリオのさらに向こうから声が掛かる。
鼠獣人のスオン。中学校で知り合って、同じクラスなのも今年で初。
だけど、いつの間にか(種族が近いせいか)親しくなって、今ではこうして一緒に帰る仲だ。)
「ごめん、僕まだ1話も見てない……」
(ちょっと申し訳なく思いつつスオンに言う。それだから、さっきから微妙に話についていけてなかった。)
『見ようよー。結構面白いから、あれ』
(今度は左斜め後ろから、口を挟んだのはオコジョ獣人のニムレ。
こっちは小学校からで、レザリオを通じて知り合った。)
『ネコ動なら無料で見れるからさ』
(さらにニムレはそう付け加えた。ネコ動は、割と有名なインターネットの動画サイト。
でも、残念ながら僕はそこを使ったことはない。ちなみに、レザリオはというと、)
『無料っつっても、1話と新しいやつだけだろ?』
(自他共に認めるアニメ好きで、それこそ、僕がついていけないくらいに詳しい、というより熱心だ。)
『はぁ……せっかくの休みなのに進路希望のやつ書いてこいとか……』
(ため息混じりにレザリオが言うと、ニムレがそれに合わせて、)
『みんなは、進路とか決まってるの?』
(と聞いてくる。)
『進路かー。俺は――』
『お前の兄ちゃんと同じとこか?』
(スオンが言いかけるのを、レザリオが遮った。)
『ちげぇし!別んとこだよ!』
『何でさ。……やっぱり男子校だから?』
『兄貴がいるからだよ!あのクソ兄貴が!』
(……どうやらスオンの、兄に対する嫌悪感は相当なものらしい。)
「ニムレは?」
(スオンのためにも、ニムレの方に話題を振ってみる。)
『ぼく?ぼくはね……卒業したら海外行くんだ』
(その告白に、その場にいた全員がどよめく。)
『えぇ、何だよそれ!聞いてねぇぞ!?』
『え、だって初めて言ったもの』
『どこ行くんだ!?遠いか!?いくらかかる!?』
『内緒ー。ってか来る気なの……?』
(二人からの質問攻めに遭うニムレは、何故かちょっと嬉しそうだった。
でもやっぱり返答に困ったみたいで、)
『ほ、ほら、そう言うレザリオくんはどうなの?』
(と、露骨に話題を逸らしてきた。ここで自分に来ると思ってなかったのか、レザリオはぎくっとして、)
『え、あー、オレはその……まだ決まってねぇよ!』
(と、目線を逸らしながら答えた。自分のことは早く切り上げたいのか、最後に残った僕に、)
『リュークス、お前はどうなんだよ!やっぱり例の進学校か?』
(と、とっとと持ち掛けてきた。……なんて答えたらいいのか、あんまりよく分からない。でもとりあえず、)
「うん……一応」
(と、言っておく。自分が行こうとしている進学校は、偏差値も高くて大変だけど、
周りからも目指せる、行ける、と励まされ、目標として決めていた。)
『すげぇよなぁ。あそこ受かったら』
『俺絶対無理。英語とか死んでるから』
『スオンくんはまず日本語からね』
(確かに、あそこに受かったらすごいんだろうなぁと、思いながら、もう“そこ”まで来てしまっていた。)
「あ、僕今日こっちだから、ここで――」
(そこは、例の赤い自動販売機の曲がり角、ではない交差点。)
『あー、また“家庭教師”か?』
『おつかれー』
「うん、また火曜日!」
(そう、今日は“家庭教師”の日。そんな大それたものじゃないけど……。)
(みんなと別れ、目的の場所に向かう途中、道端に立ち止まって、首と肩の間に傘を挾みながら、
スマホを取り出してLIONE(というメッセージ送信アプリ)を開く。最近やっと慣れてきたものの、
どこか操作がぎこちない。みんなは、俗に言う“SNS”なるものもやってるみたいだけど、
自分は去年あったそれに関する講演授業を受けてから、
何となく怖くてこのアプリ以外は入れたことがない。)
「“もうすぐ着くよ”」
(と、短いメッセージを送信すると、僕はもう一度、雨の中を歩き出した。)


《第3回》

「おじゃましまーす」
(傘を閉じて、とある家の玄関に入る。自分を招き入れてくれたその家の人は、)
『いつもありがとねー。あ、傘はその辺に立て掛けておいて大丈夫だから』
(と、おっとりとした様子で言った。)
「僕の方こそ、受験勉強になってるので、助かってますよ」
(二言、三言話してから、)
「クラウス君は二階に?」
『えぇ。後で飲み物とお菓子――あぁ、お菓子も。ありがとって、リュークス君のお母さんに』
「伝えておきます」
(僕は軽く頭を下げた。昨日お母さんが言ってたお菓子。
自分は学校に持っていけないから、お母さんが代わりに届けてくれておいたんだろう。)
『もう、そんなに畏まらなくても。前みたいに、普通に話してくれてもいいのに』
「……すみません。なんか、気恥しくなっちゃって」
(少し胸の奥がざわついた。何となく気まずい雰囲気になりそうな所を、)
「……えっと、クラウス君待たせちゃってるので、部屋に行ってますね」
(と、僕が遮った。)
『え、あぁ。よろしくね』
(と、相手の返事を聞いてから、
もうすっかり行き慣れてしまっている彼の元へ、階段を上っていった。)

(二階のとある部屋の扉を、軽くノックする。
すると中から明るい声が聞こえた。)
『どうぞー、入ってくださーい!』
(……向こうは誰が来たか分かっているみたい。
それじゃあ、と、お言葉に甘えて、扉をがちゃりと開ける。
そしてその先、真正面、ローラー付きの椅子に座った一人の鹿獣人の少年が、
にんまりと嬉しそうに笑っているのが見えた。)

『――どうもです、先輩!毎回ありがとうございます!』
(椅子に座ったまま、律儀にも一礼する。
僕の一個下の後輩のクラウス君。
僕が2年生の頃部活で知り合って、
そこから今は時折こうして家庭教師紛いなことをしに家におじゃまするまでの付き合いになった。
それだけじゃなく……。)
「ううん、こっちもお世話になってるし……生徒会の方はどう?今忙しいでしょ?」
『もうすぐ文化祭ですからね。
あ、でも、先輩が書いてくれた去年の流れの紙のおかげで、順調に進んでますよ!』
(クラウス君は目を輝かせていた。僕は今年の7月まで、生徒会にも所属していた。
6月の体育祭が終わった後、次期生徒会長を決める校内選挙を経て、
3年生が生徒会を引退し、今の2年生へバトンタッチされた。)
(クラウス君も今の生徒会役員の一人で、僕らの代の後を継いで頑張っている。
夏休みの間に部活も引退して以降お互い会う機会が減り、
今はこうして家庭教師をしに来ている際に近況報告をしている。)
「あれが役に立ってるようで、良かったよ」
『リュークス先輩字も綺麗だから、見やすいって評判ですよ!』
「そ、そうかな」
(気のせいかもしれないけど、ここ最近は特に、
クラウス君と会うたびに何かしらのポイントで褒められてる気がして、
ついつい照れてしまう。)
「ほ、ほら、それより宿題片付けよ?今日は何の教科?」
(そんな照れを隠すように、露骨に話題を逸らす)
『えっと……理科です』
「理科?」
(鞄から理科のワークブックを取り出すクラウス君に、
僕はキョトンとした。今までなら、英語とか国語とかが主で、
たまに数学について訊かれる、という感じで、理科はまず出てこなかった。
というのも、僕もクラウス君も元々理科部所属で、
理科は得意科目とばかり思ってた。)
「えーっと、2年の今頃の理科は――天気?」
(尋ねると、クラウス君は頷いた。)
『湿度とか前線とか、何か覚えることいっぱいあってこんがらがって……』
(どことなく、クラウス君が申し訳なさそうな様子で言う。)
「いいよ。ゆっくり確認していこっか」
(と、こうして今日も家庭教師が始まるのだった。)

『――なるほど、前線と気圧は直接は関係ないんですね』
(クラウス君が、先程彼の母親が持ってきた勉強のお供的なお菓子をパク付いては、
本の上にぽろっとこぼれたお菓子の欠片を払いつつ言った。)
「うん。関係あるのは大気の温度だね」
『それは……気圧の図を見ても分かんないわけだ』
(しっかり勉強に集中しているようで、
ノートやワークブックにてきぱきと書き込んでいく。)
「それでね、えっと……寒気が強いと寒冷前線で、激しい雨が短く降る。
で、暖気が強いと、温暖前線で弱い雨が長く降る。両方の強さが同じだと、
停滞前線でこれも雨が長く続くんだ」
『えっと……寒冷前線だと……激しく長い雨……あれ?』
(さすがのクラウス君でも大分困惑しているみたいで、
若干自分の説明の拙さが浮き彫りになる。)
「えっと、こっちが寒気で、こっちが暖気だとするよ」
(とそこで、左手と右手を使っての説明に打って出る。)
「寒気はその名の通りクールな子で、暖気は熱血な張り切り屋さんなんだ」
『先輩、例えが可愛いですね』
(その説明をニコニコ笑って見ているクラウス君。)
「もう、ちゃんと聞いててよー。
……こほん。この寒気と暖気はいつも争っててね。
寒気が強がってて、暖気が押されてるときは、
暖気は無理に張り切っちゃって、寒気にぐっとのしかかろうとするんだ。」
「そうすると、無理におっきくなろうとするから体力をいっぱい、一気に使う。
だから激しいのが来るけど、早く終わっちゃうんだ。それで…………クラウス君?」
(ふと前の方を見ると、クラウス君はいつの間にか机に前屈みに伏せていて、
小刻みに震えていた。何となく、笑うのを堪えてるみたいに。)
「えっと……だ、大丈夫?」
『ふ、ふふっ、せ、先輩……わざとじゃない、ですよね?』
(何がなんだろう。その後も、何故かこの例え話はクラウス君には大ウケだった――。)

『終わったぁ〜〜!』
(ワークブックを勢いよくバタンと閉じて、
ペンを机に投げ出し伸びをするクラウス君。)
「お疲れ様」
(僕はそんな彼に労いの言葉を掛ける。)
『先輩のおかげですよ〜!先輩の説明が良かったからこんなに……ぷふっ、早く……』
(まださっきの思い出し笑いが続いているみたいだ。
笑ってはいけないと必死に堪えようとしている様子が何とも言えない。
……あれ、そんなに爆笑するところあったっけ……?)
『先輩!次はいつになりますか!』
(椅子の背もたれから顔を出して、
期待の眼差しでこちらを見つめている鹿の少年。僕は帰り支度の最中だった。)
「そうだなぁ……。文化祭終わるとテストも近いし、来るなら文化祭前かなー」
『その後は?』
「んー……」
(僕が手持ちの手帳を見ながら悩んでいると、)
『テスト終わったら――うちにお泊まりしに来ませんか?』
(意外なお誘いの言葉。それに面食らって、)
「え、えっと、冬休み入ると忙しくなりそうだから、その前なら……」
(と、言ってしまう。)
『ホントですか!?』
(クラウス君は嬉しそうに椅子の上から、)
『約束ですよ!』
(と、念を押すように僕に言った。僕はそれを見上げながら頷く。
……そして、頷きながら……
一瞬変な想像が頭をよぎったので、それを振り払う。)
『……?』
(手帳を片手にぼーっとしている僕を不思議そうに見つめるクラウス君。
その視線に気付いては、)
「あ、あぁ、ごめん」
(と、いそいそと手帳を鞄にしまった。)

『――それじゃあ、次来るときは英語お願いします』
「いいよ。またお土産持ってくるね」
(荷物支度を終え、クラウス君の部屋から出た僕ら二人は階段を下りていく。
そのとき、僕は気付いた。階段の段差は抜きにしても、
やはりクラウス君の身長が伸びていることに。
そして、またあの変な想像が一瞬脳内にフラッシュバックする。
クラウス君も、夢精に悩まされているのか、いたのか、それともまだなのか――。)
(年下ということもあって、俄然気になったものの、
それを直接尋ねる勇気もなく、何も言い出せないまま1階の玄関に着いてしまった。
クラウス君と、その母親が見送りする。)
『気を付けてね、雨足強まったみたいだから』
「ありがとうございます」
(僕は立て掛けておいた傘を手に取った。)
『これで風も強かったら、大変ですね』
(と、クラウス君が言う。
確かに、このまま暴風雨になったら傘も役に立たず、
怪我をする危険もある。幸い、今日のはそうでもなさそうだったけど。)
「おじゃましました」
(と言って玄関を出ようとした時、後ろから、)
『ちなみにこれは何前線ですか?』
(と声がした。普通の低気圧だ。)

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